かなの歴史

漢字と仮名

「書道」は大別して漢字と仮名があります。漢字は中国を発祥の地とし、その歴史を有しま

す。一方の仮名は日本で生まれた固有の文化で「かな書道」として現在も脈々と引き継がれ

ています。その「かな書道」の中で歴史的にも重要な「三色紙」と「三蹟」について、ご紹

介いたします。

三色紙

「三色紙」とは、平安時代の古筆の中で、散らし書き、布置の見事さなどから、

継色紙、寸松庵色紙、桝色紙を指しています。

継色紙(つぎしきし)

万葉集、古今和歌集、その他未評の集から四季、恋などの歌を抜粋し書写したものの断簡。

もとは粘葉装の冊子で、料紙二枚に継き書きしている為にこの名で呼ばれます。

料紙は鳥の子の染紙。小野道風筆と伝えられ、十世紀後半の書写と推定されます。

字形は古体で、女手に草を混用し、洗練度が高く古筆中の名作と言われます。

寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)

古今和歌集の四季の部分の抄写。てもとは粘葉装の冊子本です。

舶来の美麗な料紙(12~13センチ四方)を用い、十一世紀後半の書写とと思われます。

散らし方は、行頭に高低変化のあるもの、一首を左右上下に分けたもの、

終行を一字で収めたものなど、変化に富んでいます。茶人の佐久間将監真勝が

この色紙十二枚を愛玩し、茶室・寸松庵に秘蔵していたことにちなんで、

一連の色紙がこの名で呼ばれています。

桝色紙(ますじきし)

清原深養文の家集を書写したもので、もとは冊子本、藤原行成筆と伝えられます。

白・淡藍などの地に雲母をまいた高雅な料紙を用い、形が桝のような方形である為に

この名で呼ばれています。字形は豊円で、線の細太変化と墨色の濃淡が交錯して現れる

明暗の美しさは、他に類を見ず、優艶・典雅な趣きがあります。

三蹟

三蹟(三跡)とは、十世紀に活躍した書道の大御所三人のことを指し、

かなの歴史に大きな影響を与えました。

小野道風(おののみちかぜ「通称トウフウ」 894~966)

王羲之の生まれ代わりと言われる程の名声を得、日本の風土や生活にふさわしい

柔和な書風を生み出し、和様の書の基礎を築きました。

また才能だけでなく、たゆみない努力の大切さに気付いた人とも言われています。

藤原佐理(ふじわらのすけまさ「通称サリ」 944~998)

関白藤原実朝の孫という名門の出ながら、性格に怠惰なところがあり、

これを裏付けるように残された手紙の全てが詫び状です。青年期の筆跡である

詩懐紙には道風の書の影響が見られます。

また書状では流れるような連綿で草書の美しさを展開し、奔放・闊達・颯爽といった形容が

ふさわしい書風です。

藤原行成(ふじわらのゆきなり「通称コウゼイ」 972~1027)

道風に私淑し、自らの日記(権記)に「夢の中で道風に逢い書風を授けられた」

と記録しています。

優雅にして繊細、軽快な趣きを持ち、明るくすっきりとして格調高い和様の書を

確立させました。

藤原行成の子孫は歴代にわたって能書の家系(世尊寺家)として活躍し、室町時代まで

和様の書の一大書流として重んじられました。

1


【継色紙】つぎしきし (市川玲子 先生 臨)
読み:あまつかぜ くものかよひぢ ふきとじよ をとめのすがた しばしとどめむ

2


【寸松庵色紙】すんしょうあんしきし(市川玲子 先生 臨)
読み:としゆき あきはぎの はなさきにけり たかさごの をのへにいまや しかはなくらん

3


【桝色紙】ますじきし(市川玲子 先生 臨)
読み:いまははや こひしなましを あひみむと たのめしことぞ いのちなりける

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