かなの特徴

放ち書き

かな作品制作の技法の一つとして、放ち書きが有る。文字通り続けないで、一文字ずつ放して書くことである。

放ち書きの成立

近、現代の作家に依る書作品の中には、溜息の出るような、素敵な作品を見る事が出来る。
しかし乍ら、放ち書きは近、現代に起ったものではなく、既に古典の元永本古今集の中に見る事が出来る。連綿の中に放ち書きが交じる物も有れば、一首総てが放ち書きの歌も有る。

実際の作品制作に於いても、連綿しつつ、放ち書きも交じるのが妥当だろうと思う。
勿論、総て平仮名による放ち書きの作品を書かれる書家は居る。

現代詩歌の感覚を活かす技法のひとつとして

どちらにしろ、字と字は続いていなくとも、筆路、筆意はつながっていて、空間を挟んで字と字は呼応していなければならない。
生まれた空間は、より歌意を強くし、造形的にも紙面を美しくしなければならない。

古歌よりも、現代の歌を書こうとする時、現代の歌の感覚を生かそうとする時、それはより必要な技法ではないだろうか。

現代詩歌例

読み下し:快活に見舞ひて帰るエレベーターのしまる瞬時の夫の顔かな(西原寛子先生自詠)

散らし書き

かなの散らし書きは、かなが進化していく段階で生み出された、かな書道独特の表現法である。
それは、日本人しか持たない美の感覚であり、中国の漢字作品には無い物である。

古典にみる散らし書き

古典の、継、寸松庵、升の三色紙は、散らし書きの要素総てが含まれた、至高の作品である。
作品制作に於いて、散らし方には特に決まりは無い。構成を三角形にするのが良い、と一般的に言われるが、あくまで個人の自由、各自の美的感覚に任せれば良い。

散らし書きの基本

基本的な事としては、行を寸胴にしない、文字は大小、疎密、行間の変化と隣の行との関わり合い、等を工夫し、全体を一つの造形的、美のうちに収める事、である。

その為に、所々に変体仮名を使い、連綿を使う。字の形をデフォルメしたり傾けたりも必要となって来る。隣、上下で喧嘩しないように工夫する。
墨つぎの場所も又しかりである。潤渇も美の要素の一つである。

そして大切なのは、歌意を生かすことである。歌にはリズムが有り、そのリズムに依って、又、使う文字に依って形は決まってくると思う。強調したい思いの文字や、星、天、神などの文字は、なるべく小さくしたり、下部では使いたくない。
心をこめて取り組みたいと思う。

かな 書き散らしの例

読み下し:我が門の茨の芽などしめやかに むしりて過ぐる人ある夕べ(岡本かの子の歌)

余白の美

余白の美、とは、禅宗が入ってきた鎌倉時代以降の認識、書かない「無」の空間の美、である、と何か本で読んだ。
なるほど、日本人特有の美意識とは、そういう所からも生まれているのか、と、認識を新たにする。

余白は無ではない

しかしその空間は、最早「無」ではあるまい。
宇賀先生の、この作品の空間は、確かに美しい。一枚目上部の紙面四分の一もの空き、そして二枚目の大胆な広さ、絶妙の造形美だと思う。一首を二枚、上下に配した技法、感嘆の他無い。

宇賀先生の歌にみる姿勢

歌は「新しき道に分け入るひとすじの心確かめ花の下行く」と読む。宇賀先生の御姿勢を見る思いがする。

その空間は、歌の意を殊更強める為の息継ぎの役目を果たしているように思える。特に二枚目、「心たしかめ」で区切り、大きく空けて、「花の下行く」と続く。毅然と歩まれる、先生の強い決意が滲み出てはいまいか。

いつの時も、確かな歩みをされていた、先生の在りし日のお姿が偲ばれる作品である。

宇賀先生の作品

宇賀先生の作品

冒頭の読みくだし

この栄えをなほふもとにてのぼりゆく君をあらたにまてる花みち 歌とともに君を祝ふ

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